江戸時代、夏場で売り上げが芳しくないうなぎ屋さんが、平賀源内に相談したところ、源内は「本日土用丑の日」と一筆したためそれを店頭に貼り出すように言ったとか。それが話題となって人気を呼んで、現代に至るまで土用丑の日にはうなぎを食べる風習が続いていると言われています。源内が生きていたのは西暦でいうと1700年代ですから、200年以上も続く歴史的な名キャッチコピーですよね。ただ、土用丑の日に「う」のつくものを食べる風習はさらに古くからあり、土用丑の日にうなぎを食べるのが定着したのは源内が死んで半世紀近くたってからだというので、後に作られた逸話なのかもしれません。
いずれにせよ、江戸時代からうなぎは広く食べられていました。江戸時代の生活排水は、米のとぎ汁や野菜くずなどで栄養が豊富だったため、お堀や河口で丸々と太ったうなぎが獲れたようです。ただ、調理は難しいので「釣って来た鰻是非なく汁で煮る」なんて川柳が残っています。釣って来たはいいものの、調理できずにやけになって、どじょう汁のようにして食べるなんてドタバタがあったのでしょう。
江戸時代以前からうなぎは食べられており、古くは縄文時代の貝塚からもうなぎの骨が見つかっています。万葉集の中にもうなぎの歌があったりするから面白いです。蒲焼は室町時代の文献に見られますが、当初の蒲焼は、うなぎを筒切りにして串に刺して焼いていたそうです。その姿が蒲の穂ににている事から蒲焼という呼び名が生まれたとも言われています。
そして江戸時代になり、現代のような蒲焼が登場するのですが、そちらは当初はその姿からいかだ焼きと呼ばれていたとか。やがて本来の蒲焼は廃れ、呼び名だけが残り現代に至るようです。いろいろと歴史を探るのも面白いですね。
さて、そんなうなぎのお値段はというと、100文~200文くらいだったといわれています。100文というと寛永通宝100枚分です。あまりぴんとこないでしょうが、結構な金額ですよ。画像の100文相応として作られた天保通宝は、実際は80文相応として扱われたらしいので、この天保通宝一枚では食べられなかった事でしょう。一文を現代のお金に換算すると、比較する品によって若干の違いはありますが、だいたい20円くらいになる計算なので、江戸時代のうなぎは2000円~4000円くらいしたようです。不思議と現代に近い金額ですね。
そのうなぎも、近年では不漁が続き、値上がりしてきています。ワシントン条約で規制も検討されているとか・・・。日本で食べられているニホンウナギとは別種のアメリカウナギが規制されるのは仕方ないにしても、ニホンウナギまで一緒くたに規制されてしまっては、日本が、浜松が誇る歴史ある食文化の崩壊にもなりかねません。ウナギもクジラのように食卓から消えてしまうのでしょうか?本日土用丑の日。おいしいと言ってうなぎを食べるだけでなく、うなぎの食文化の歴史と未来を少し考えたくなります。